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当時一年と二年の境に位置していたわたしは
片岡先輩にキラキラした顔でこんなことをいった。
一年で色んなとこの階段に足をひっかけたので、二年になったらそれを全部もう一段のぼって自身ごと乗っかってやるのです!
…といったことを。

何でも屋になりたかったのだ。
わたしには夢があり、それにはこれが使えるかもしれない。
うん、これも自分でできるようになると素敵かもしれない。
楽になるかもしれない。
有用かもしれない。

しかしそれには音響や製本に関する技術への挑戦も含まれており最早盲目であったとしか言いようがない。
業者という存在を知らんのか、今はそんな時代ではない。
ちなみにわたしの夢というのはマッサージ師である。

何でも屋というより、何でもやりたがり屋のわたしのおもちゃを手に入れる言い訳の一種だったのだ。
当時から薄々気づいてはいたが当時はそれがもっと高尚なものであったかのように思えた。
今思うと自身が自身にこき使われているといえる他何でもない。

二年と三年の境に位置するわたしにようやく一つのことを極める難しさ、思考の向き方、尊さがなんとなく感じられるようになり、
いろんなものを削り取って今ようやく空白の時間ができた。
そしてその時間を一つのわたしの信念に注ぎ込むだけではなく、自身を確立するための作業に費やす時間をマイナスした残りを信念に注ぎ込むことこそがわたしの真にやりたいことなのである。
というわけで、いろいろな義務を全うしたい、と。
そしてその上で自身精進し、自分を表現したい、と。

いきなり空白の時間ができてしまうのはすてきであるが、癒えることはできるが癒えるところがなければちょっと寂しい行動である。
つまり、自身の精進によってすこしくらい自分に傷をつけたからといってこの空白の時間を充実したものにする他役目はないようだ。
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