名の知れているミュージシャンには"思い"があり、
そのようなオーラが感じられるのであると考えております。
たくさんの人に知られるようになった作品というものも、
ほとんどはたくさんの"思い"が詰め込まれ、交錯した結果なのではないかしらん。
テレビやラジオ、メディアとは、少なからずそういったものが寄せ集められた場所であってほしいと思います。
そして、そこから好きなだけ取り出して、好きなようにいじり回すことができるのが、
私たちなのでございます。
女子高生たちは、自分が流行を知っているのだと示すためだけに、
男の子たちは、女の子に格好いいと思われるためだけに、
私は誰かに誉められるためだけに、
上司は部下に若いと思われるためだけに、
歌をうたうのでしょう。
今の時代、きっと人口の90%は、自分の見栄のためだけにうたうのです。
テレビというクローゼットから適当な曲を引っ張りだして、うたうのでございます。
その"思い"までうたえなくともお構いなしに。
誰もが見栄のために、見たりきいたりいいよねと言い合ったりします。
大勢の人の波というスクリーンに、どう映るかと言うことだけが重要なことでございます。
今の時代、著作権なんてぐしゃぐしゃでありましょう。
見えないところで守られていないのではないかという不安は、拭いきれません。
それを、"思い"を持ってした方たちは何と思うでしょうか。
思いが伝わらないと泣くでしょうか。
どうしてそんなことするのと震えるでしょうか。
私は満足しているものと放っておくでしょうか。
辛いけれど我慢するでしょうか。
けれどそんなもの、
均等を保つためだけの罰でありましょう。
きっとうたいたくてもうたえなかった人たちの、
ささやかな意地悪なのだと、私には思われます。
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