誰かが「すごい」と言えば、
私はそれを「すごい」と思う。
けれどそれは
「そんなことを言ってしまえるなんてすごい。
そんなことよく言えるね」
の「すごい」なのだ。
言ってしまうとすごく、いやしい、嫌味である。
外に出してはいけない一言なのだ。
けれど私がうっかり
その言葉を外へおっことしてしまったとして、
いったい誰がそんなことに気がつくだろう。
また、
「わざわざそんなこと、
言ってくれてありがとう」
と私が口にしたとき、
なんだか嫌味のように聞こえた気がした。
そこで私は「わざわざ」を辞書で引き、
私は間違っていないだろう、
と、ほっと息をついた。
けれど私が息をついたところで、
彼女も嫌味のように聞こえていたらどうするだろう。
私と同じように辞書を引く?
まさか!
百歩ゆずって彼女が辞書を引き、
私の言葉はいい意味なのだと確認したとする。
けれど、"私が"いい意味で使ったのだという保証は、
どんな辞書の中にある?
彼女はずっと迷ってしまう。
「わたし嫌われてんのかな、
いや、でもー…」
彼女とひきつった笑顔で
もう一度顔を合わせなくてすますためには、
私がわざわざ彼女に弁解すればいいのだけれど、
なるべく機会があれば弁解するようにしているけれど、
「自分の印象をよくするために、なにを、わざわざ」
と思われてしまうのが恐ろしいので、
そのように誤解が小さい場合、私はそんなことを、
(日本語のくずれを承知してわざわざ言うが、)
たぶん、ぜったいに、しない。
語彙を増やすごとに、
増えていく誤解。
当たり前かもしれない。
だって言葉なんて、
人間のつくり物じゃあないか。
人と人とは全く繋がっておらず、
他人は自分にとって目に映る風景にしかすぎず、
今のような共通の認識
(言葉や、ジェスチャーで与えることの出来る意味など、
自分は意思を持っているのだと、
あなたと繋がることが出来るのだと、
伝えられるもの)
がない時代だってあったのだ。
言葉があったって、
「みんな通じあおうと努力を惜しまなければ、
誤解は限りなくゼロに近づける世の中になった」
ということを、
忘れてしまったり、
気づいてなかったり、
信じてなかったりする。
いや、本当は、
気づいてたって、
信じてたって
通じあえなかったりする。
大っぴらに求愛できない、
シャイな人間たちだからだ。
見栄をはったり、
面倒がったりする。
それとも、やっぱり言葉がばらばらで、すかすかだからだろうか。
人にすごく期待されてる割には、
実はぜんぜん役にたたない。
所詮人が人と繋がりたくて、
うう~っと押し出してできた道具。
「これでいい?これでいい?」
と、ながいながーい時間をかけてしか出来ないほど難しい「通じるための道具」。
テレパシーみたいに、
自分の気持ちを、ほいっと渡せたらいちばん確かなのに、
言葉ってものは、どうしてこう…、ややっこしいの!
きっと今私が羅列させているこの道具でも、
あなたは私の気持ちをそっくり読みとれていない。
そんな無理矢理理解させる力が言葉にはない。
あなたがそれなりに読んでしまえば、
私を誤解することなんていくらでも出来る。
言葉は、想像する力をあなたに頼ってしまう。
私の文才について言わなければならないなら、
もう何も言いたくないけれど。
私はさっきテレパシーと言ったけれど、
もしかしたら神様がテレパシーのほうを与えてくれていたとしても、
言葉を伝えるには文才や表現力が必要なように、
テレパシーにもテレ才なんてものがあって、
言葉よりもずっと
伝えたいことを選ぶのがややっこしいかもしれない。
言葉のように、確かな形があればよいのに!
なんて、言っていたかもしれない。
現に、神様は超音波のかわりに、
声という能力を授けてくれているのだし。
あるいは、もっと簡単な相互理解がしたいなら、
人間は嘘をすてることになるのだろう。
それなら、私が言ったように、
「ほいっと渡す」テレパシーができるように思う。
人と繋がること(言葉)は、
神様に与えられなかったのだと思う。
初めて意思をともにしたのは、
誰と誰だろう。
その二人は、
神様に「一人で生きなさい」と言われたのに、
協力しようとするなんて、
なんだかずるっこい気がする。
それとも、神様は
「自分たちで通じあってみなさいよ。
具体的な通じ合う方法もないのに、
どうやって1からお互い理解し合える?」
と、ぽいっと課題を投げたのかもしれない。
私には、神様は、
生き物たちを導く賢いものなんかじゃなく、
出来るだけいっろんな、
単純なのから複雑なのまで、
色んな可能性を創るだけ作っておいて、放置。
私たちにいたずらして、
くすくす笑っている何かのように思える。
風という指を使って、
生き物をこちょこちょしたり、
転ばせたりしてるのだ。
出来るだけ色んな方法を使ってからかうために、
私たちを取り巻くこの透明な部分
(みんなから空気などと呼ばれている部分)
には、
たくさんの種類の原子が含まれているのではないか。
そのいたずらに人間ばっかりがあたふたして、
無駄なことばっかりして、
他の生き物と比べて、
いちばんの劣等生に見える。
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http://brain.blog.shinobi.jp/Entry/30/diary?-26 言葉なんてスカスカだ!