私は時折、
隣で一緒に笑ってくれている女の子の言葉に、
抵抗を感じてしまいます。
それは、
その子のことを不快に思い、
「私、あなたのことはどうも受け入れられないわ」
と眉をひそめるというのではなくて、
(いいえ
そういったことも
ないとは言えないかもしれないのですけれど。)
なんだかその言葉で
彼女にぼーんと
突き放され(突きとばされ)てしまったような、
電流の流れる導線のさきっちょについている
(びりびりとふせぐ)
あの抵抗のような、
進んでも進んでも
なかなか進めないような、そうあの、
つめたい川を登る鮭のような、
いいえ、もっと頭の上のずっとさきまで進めないような、
重力に従っているのに、
何かが許してくださらない…。
けれど、
その子は決して
私を否定しているなんてことではなくて、
むしろ私を受け入れてくれる言葉であったりするのに。
それなのに私は
はじかれたような気がして、
自分を否定されてしまったような気がしている…。
彼女に嫌われているはずはないと、
心の奧ではわかっているのです。
彼女のことを嫌っているのではないとも、
頭の外ではわかっているのです。
(本音を言うと、
彼女を嫌だと思っている可能性も
なきにしもあらず。)
彼女、と言うよりも、
世界に嫌われたような気がしてしまうのでした。
世界にはねとばされ、
そっぽ向かれたような。
私には、
声をかける勇気が出ないのです。
出せるはずであるのに、
出す気力を失わせられてしまったように、
すこしの間止まってしまう…。
と言うのも、
ほんの、ほんの
ささいな一言でございまして、
気にすることもないのです。
私の師となるかたが、
これこれを知っていますか、
と尋ねられて、
私はそれを知っていました。
犬も歩けば棒に当たる、
のように知っていました。
私はそれをとても誇りに思いました。
けれど、ある方(彼女です、)と
そのことについての会話となったとき、
私はちょっとした間違いから、
(私の気持ちを細かく、
なんでもないように
伝えようとしたばっかりのの失敗です。)
「聞いたことある気がする」という言葉を使ってしまいました。
(それは、実をいうと
別のことに対しての言葉だったのです。)
それで彼女は
「聞いたことあるの」と私をほめてくださいました。
けれど私はもやもやと、
抵抗を膨らませ、
(もしかしたら抵抗は、
私から生まれるのかもしれません。)
「違うの、
私は全部知ってた、
とってもよく知ってた」
と、自分をかしこく見せる欲をだし、
たったそれだけのことですが、
このように
もくもく腹をふくらせるのです。
そうして
どうも平気でいられないのです。
こんなたわいもないこと、
"わざわざ弁解する"にも至りません。
それどころか、私は本当は、
ここで彼女に言い訳すれば、
誰が聞いても嘘とおもい、
私をあほうと感じるでしょう、などと、
私の見栄をいちばんのものさしとして、
「言い訳すれば」と
「このまま(ささいだけれども)勘違いをさせたままでいれば」
とで彼女からみえる私のかしこさだけを天秤にかけて、
片目をつむって必死に見比べている…、
そんな私は、
一体どれ程かしこいというのでしょう?
しょせん"私のはかったかしこさ"は、
どちらに傾いたとしても
"私の用意した天秤(かしこさ)"をこえることは決してないのに。
(そんなこと、どっちでもよい…。)
そのような
もくもくとした抵抗を
穴をあけてとかすために、
彼女には到底言えなくなってしまったので、
(本当はくちにする勇気がないだけ…。)
私はここにわざとらしく記しておくのです。
けれど、
もし何かが彼女に
この(つたない)文章をみせてしまったら、
と思うと、恐ろしい。
失望、
いいえ、
軽蔑しないで、と、思う…。
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http://brain.blog.shinobi.jp/Entry/32/diary?-28 抵抗(みえ)天秤モクモクと